井上先生 2023/03/17

やっっっと済!!
世間とは猛烈な時差だけど興奮している。


こんなに大人になってからまだ知らないスラムダンクを楽しめる日が来るだなんて、信じられない。子どもの頃1ページ1ページ心臓バクバクになりながら読んでいたあの感覚がもう一度味わえるなんて、生きててよかったよ。なんというボーナスステージ。ほんとにあの時と同じ気持ち!あの人たちが動いてる!っていう興奮と、それ以上のただただ純粋におもしろい映画だなー!ってなる感じに没頭できて感無量。湘北ってこんなバスケしてたんだ……って、あのシュートもあのリバウンドもあの汗も全部!見れた!コート上の人たちがみんなちゃんと動いてるのまじですごい(毎週アニメ見てた勢)。山王の動きかっこ良すぎてずるい。動いてる河田兄めちゃめちゃかっこよくなかった…?OPの湘北のアウトロー感も最高だったよ〜。あとなんというか人間の形や細かい仕草がみんな実に生々しくて色っぽいの、さすがです。。

映画見るために全巻読み直したんだけど、大人になってから読むと、この人たち高校生だけど家族ほとんど出てこないなあとか、ゴリはなかなか裕福な家庭に育ったんだなあとか、改めて思うことがけっこうあったので、パンフ読んで納得です。ポスターの立ち位置センターだったしそうだろうとは思ってたけど、まさかこんなにもリョータとは、ほんと、ほんとに新刊を読ませてくれてありがとう先生のきもち。

あの漫画の、言葉少なに語る手法が好きだったことも思い出して、それがアニメーションでも生きているのがとてもしあわせだった。漫画のコマ割りやページ構成の考え方って、カメラで映像をきっていく作業に近いのだろうか。アニメーション映画だけど、すごく井上雄彦の漫画だった。

 


炎の男 三っちゃんのシールもらえてうれしい。スマホにはさもうかな。みんなの感想読みにいくのがたのしみ。とりあえず今日は早く寝よ。
うああぁリョーーーちん!!(号泣)

紀伊國屋 2023/03/16



五関くんの朗読の舞台、本日初日。
都会のど真ん中のでかい本屋の奥にある渋いホールっていうのがやっぱ好きだなと思った紀伊國屋ホール
座席は見やすくないけど、頭上に設置された重厚なレリーフとか、公民館の壁みたいな茶色い板壁とかテンション上がる。
五関くんは姿勢良く、腹から出る良い声で、立派にベートーヴェンの弟子をやっていました。髪の毛ずいぶん短くてふわふわっと茶色でかわいかった。椅子に座ってる時の無の造形がまじで素晴らしい、カチッとした空間、カチッとした服、似合うなあ。

ピアノとチェロとバイオリンが生演奏で物語のポイントに差し込まれてくるのも優雅な時間で、っていうか1時間半の舞台って楽…ストレスなく尻も痛くなく落ち着いてみられて、まるで余生のような時間を過ごしてんなと思ったりした。内容はサラッとしていて、リーディングコンサートとは。みたいなモードに入りかけたけどまあなんか心地よかったから良いんだそれで。それに一番上手の壁際の席だったけどもう閉鎖空間も大丈夫だった、本当にそれはうれしい。がんばったな。



なんかこういうの70歳くらいまでずーっとやっててほしいなーって思ったし、わたしも70歳くらいまでずーっとこうやって過ごしたいって思った。心穏やかですよ。とにかく。

パンフレットが初日なのに無くて、後日発送するため宛先を付箋に記入する列ができてて、なかなか青ざめた。劇場の人に聞いたら交通事情で届いていない、とのことだったけど、明日の公演にもまだ届くかわからないパンフレット……そんな恐ろしいことある…!?とふるえた。なんの列かもさっぱり分からずその辺の対応もサラッとしており、そもそもやっぱりこのリーディングコンサートとは一体…?になりかけたけどまあいいんだ。どうでもいいけど死んだ後に日記とか手紙とか晒すのやめてあげてって思いがち。歴史的には重要なことなのはわかる。

反射 2023/03/14

反射神経っていうのは防御と攻撃を兼ね備えていないと生き物としてしぬのでたぶんそれはそうなんだけど、サバイバルではない日常の中で、受け取る言葉や生まれる感情についての脊髄反射ていうのは一旦寝かせることができるのだなとわかってきた。そしてそのほうが心のダメージが少ない。

誰かに何かドキッとするようなことを言われた時、他人のアクションになぜかカッとしてしまう時、それが自分や誰かに向けられた明確な攻撃だとしたらすぐに対応していいものだけど、攻撃だと思い込む、ってこともよくあるなと。そこで反射でバッと反応してしまうと間違った軋轢や心の傷を生む気がした。
それは感情の反射、みたいなものでもあって、相手のアクションに対して咄嗟にザワッとして傷付いたり怒ったり悲しんだりする時って、相手の意図を理解する余裕もなく確認もせずに思い込み、想像が一瞬で膨らみ、どんどん嫌な動悸がしてしまう、みたいな、ある種の感じやすさに対する防御反応だと思うんだけど、それも寝かせられる類の反射っぽいなあと。

これは「怒るな」って話とは全く別で、明らかな攻撃や悪意や間違っていることについての反射神経は鍛え上げていきたいところであるので間違えたくないんだけど。

そうではない、反射のバグみたいなものを自分で理解すると怖くないな、って思ったという話。受け取ったものを一旦寝かせることで、丁寧に練った対応(そこには相手や物事への敬意、思いやりも含まれる)が可能になり、結果、なーんだそういうことだったか!になったり、スマートに対応できた自分に自信がついたりして、無駄な傷つきが減る、という体験を最近いくつかしている。

映画と新聞 2023/03/12

 

友だちと見に行こうと約束して、都合が悪くなったり体調が悪くなったり仕事が忙しかったりして何度もキャンセルと再調整を重ねて、やっと行けたのが今日だったんだけど、今日見に行けてよかったんだなと思った。
人は昔からこうして物語って何年も何年も生きてきたんだろう、というような気持ちにすらなった。この形になるまでには時間がかかる。それには色んな形があっていいのだと思う。
かつて命に溢れていたであろう場所の、その時の声を聞く、というしぐさに泣いてしまった。あと、自分の中で泣きわめいている小さな子どもを抱きしめてあげるというのは、色々悩みまくっていた時にたどり着いた答えだったので、そこにも治癒のちからを感じたりした。なんかメンタルタイミング的にだと思うけどミカンの子に会ったあたりからずーっとスイッチが入ってしまってマスクが水びたしになった。
友だちと夕飯を食べながら、その時どこにいて何をしていたかとか、あの日にやっていたことをすると今でも思い出すよね、という話をした。あまりにも大きな被害があった土地から離れているわたしたちにとっての震災というのは色んな形をしている。その時わたしは個展をしていたから、毎回個展のたびに鮮明に思い出す。
帰り道にはダイジンのことばかり考えてまた泣きそうになった。個人的には新海誠のクセ薄めでずいぶん大きな作品だなあと思った。
(ほっくん、すごい…)

これは、震災後にどうしたらいいかわからず、とにかく防災リュックを作った方がいいと思って、いろんなものを詰め込んだ時に、ただの新聞紙も必要だろうと入れてあったもの。2011年3月13日にリュックを作ったんだということがわかる。それ以来、毎年中身の点検と入れ替えをしているけど、いつのまにかずっと入れっぱなしにするっていうルールになった。
年を経てどうしても記憶は薄くなるけどこれはずっと持っていないといけない気がしてる。

 

2023/03/08

うちの緑コーナーにある植物たちは、人からもらったもの、預かっているもの、増やしたもの、みんなそれぞれに元気。
さっきカーテンを閉める時に、うっかり葉っぱを茎から折ってしまって、謝りつつ、その時に猛烈にたちのぼる緑のにおいに少し胸を打たれた。人間でいうところの血のにおいのような、強い命のにおいだなと思った。

最近外を散歩していると、あたり一面本当に命がみなぎっているのを感じて身体がチカチカする。草木や花の強いにおい、鳥は騒ぐし、まるまると太った大きなカエルがアスファルトの上で呆然としていたりする。あんな小さなおたまじゃくしがどうしてこんなに大きくなれるんだろうか、シンプルに驚くし感動する。

これまで受け入れられなかったもの、というより受け入れるのが怖かったりどうにかしてなんとかして抗いたかったようなもの、そういうのが急に抜けたようで、だからたぶん、こういった春の散歩で猛烈な命を感じることが、つらくない。

日記の再開 2023/03/07


2023年

今年に入って急に自分の内面に明らかな変化を感じるので、また日記というかメモをつけていこうかなと思った。
トンネルを抜けた感じというか、皮をバリバリ剥いで中から出てきた新しい心(いや本当は生まれた時からずっとそこにあった)のようなものが、健やかに息をしている感じというか、なんだろう。
かたまったまま、どう動かせばいいかわからなかった部分も、つられていまどんどん溶けている。たぶん10年以上前から自分で自分にかけた呪いでガチガチになっていたのが、もういいのね、とばかりに解けつつある。やっと心と体が動かしやすくなった、という感じだと思う。すごい、本当にすごいことだ。

 

改めてこの場所について

コロナ禍で精神的に大変参ってしまい、なにもかも記録することで心のバランスを保っていたのかなんなのか、とにかく不安で絶望的であまりにも過集中な日々をやりすごすためにインスタに日記をつけまくっていた。

それをnoteに移植したけど、やはり嫌な会社のプラットフォームを利用するのは不本意だなと思い、はてなに大移動したのがこのブログで、移動が終わったあたりで一旦記録厨はおさまったようで、日記はお休みしていた。

ここのところ、本当に長年しんどかったモヤが綺麗に晴れていったので、心の底からびっくりしている。この新しい自分の状態で書いておきたいことがあるかもという気持ちにより、今後は不定期に、ツイッターに書き出すのとはちょっと違うなということとか、文字にして整理したいこととか、日記とはまた違うものになりそうだけど、まただらだらとあまり決めずに書いていけたらいいなと思う。

動き出したので公開にしてみた。

日記 2021/02/10

オタクの友人とやっとゆっくり会えて、川辺で何時間か喋った。現場連番しても直行直帰だったからほとんど何もしゃべれなかったんだよな、やっぱりじっくり話すの本当に大切、あとすごく楽しい。内容としてはみんなそれぞれの場所でそれぞれに大変、という話だったけど。