映画と新聞 2023/03/12

 

友だちと見に行こうと約束して、都合が悪くなったり体調が悪くなったり仕事が忙しかったりして何度もキャンセルと再調整を重ねて、やっと行けたのが今日だったんだけど、今日見に行けてよかったんだなと思った。
人は昔からこうして物語って何年も何年も生きてきたんだろう、というような気持ちにすらなった。この形になるまでには時間がかかる。それには色んな形があっていいのだと思う。
かつて命に溢れていたであろう場所の、その時の声を聞く、というしぐさに泣いてしまった。あと、自分の中で泣きわめいている小さな子どもを抱きしめてあげるというのは、色々悩みまくっていた時にたどり着いた答えだったので、そこにも治癒のちからを感じたりした。なんかメンタルタイミング的にだと思うけどミカンの子に会ったあたりからずーっとスイッチが入ってしまってマスクが水びたしになった。
友だちと夕飯を食べながら、その時どこにいて何をしていたかとか、あの日にやっていたことをすると今でも思い出すよね、という話をした。あまりにも大きな被害があった土地から離れているわたしたちにとっての震災というのは色んな形をしている。その時わたしは個展をしていたから、毎回個展のたびに鮮明に思い出す。
帰り道にはダイジンのことばかり考えてまた泣きそうになった。個人的には新海誠のクセ薄めでずいぶん大きな作品だなあと思った。
(ほっくん、すごい…)

これは、震災後にどうしたらいいかわからず、とにかく防災リュックを作った方がいいと思って、いろんなものを詰め込んだ時に、ただの新聞紙も必要だろうと入れてあったもの。2011年3月13日にリュックを作ったんだということがわかる。それ以来、毎年中身の点検と入れ替えをしているけど、いつのまにかずっと入れっぱなしにするっていうルールになった。
年を経てどうしても記憶は薄くなるけどこれはずっと持っていないといけない気がしてる。